劣等感を抱きやすいものの一つに、学歴が挙げられる。
これは、下克上の激しかった戦国時代の人々からすれば、笑われる話かもしれない。
劣等感には、そのことに対して意識を向けさせ、様々なことを考える力がある。
戦国時代の人々は、教科書には記載されていない様々な考える力によって、大いに下克上を成し遂げてきたのである。
学歴が無くても考える力を持ち合わせている人は、学歴のある人と話をしても、自身との違いについて差を感じないケースが多い。
人の望ましい生き方の中には、採長補短と呼ばれる生き方もある。
採長補短とは、得意分野を伸ばし足りない要素を補うことの大切さを現した言葉だ。
足りない要素ばかりに意識が集まれば、得意分野を磨く意識も薄れてしまうだろう。
しかし、得意分野を秀でた姿にすればそれが己の武器となり、劣等感を打ち消してくれる可能性もある。
知識は、何も学校でなければ得ることができない訳ではない。
市販されている本や図書館などでも、知識を吸収することはできるだろう。
学歴のある人も、当たり前の話として知らない知識を多く持ち合わせている。
知らない知識を教えることで、同じ人としての自覚が芽生える場合もある。
劣等とは、差を意識するために生じた言葉だ。
各々の人生は全くそれそれ違うため、差が現れて当然だろう。
人生とは、自身を主人公とした一冊の本を作成する姿とも言われている。
他の本とは違うオリジナルの本を作成する思いがあれば、人との差を負の姿として意識せず、逆にプラスの姿として歩んで行くこともできるだろう。